「人間は考えるFになる」 土屋賢二 森博嗣

土屋賢二お茶の水大学の哲学科教授で、その哲学的な言葉を使ってユーモアあふれるエッセイを書いている。
森博嗣、某国立大学の工学部助教授で「すべてがFになる」で作家デビューし犀川&萌絵シリーズで人気作家に、速筆家としても知られている。
こんな二人の対談で面白くならないはずが無い、文系理系の対談としても読めるし、物書きとしての対談にもなる。
二人とも国立大学の教授・助教授ということで、教授会や会議などへの不満なども読んでいてそういうものがあるのだなぁと、余り知らない大学の内部の話も面白かった。


しかし個人的に一番興味を引かれたのは森博嗣が小説の書き方を言っている部分だった。
思っていたよりも随分とアバウトで行き当たりバッタリな作り方をしていることに驚いた。
まずはタイトルへのこだわり。
「書いてからタイトルを決めると中身にあわせなければならない、しかしそんなことはとてもできない。」
「先にタイトルを決めておけばそれに合った内容にすればいい、だから必ずフィットする。『封印再度』ってタイトルを思いついたら、じゃあ封印を2回したストーリにすればいいんだなと。」
「タイトルを決める三条件、1つ目は音・リズム 2つ目は見た目・形のよさ 3つ目は読んだときに意味が分からないような、ちょっと不思議さがある。」
など、タイトルありきで小説が作り始められるようだ。
これを読んでなるほどと思った、だからあんなに不思議にインパクトがあって、つい本を手に取ってあらすじや始めの数ページを読んでしまうし、かつ読み終えた後にだからこのタイトルだったのかとか、タイトルと中身がめちゃくちゃマッチしている、と感じたのだと納得した。


そして本文の書き方。
「まず人物表を作って、名前を書いて『芸術家』とか書く、そして人物像を思い浮かべる、次は『息子がいるんじゃないかな』とかドンドン広げていく。」
「人物を決めれば住んでるところも想像できる。お屋敷だとしたらお手伝いさんがいるんじゃないかとか、たまに訪ねてくる友人もいるだろうとか、書き始めてみるとなんとなくこの二人は仲が悪そうだなって感じがしてきたりする、最初から決めるんじゃなくて、登場したときの映像を見てから把握していきます。」
「最初から決めて書き始めると仲が良いって事を書かないといけないとか、同級生だとしゃべらせないといけないとか制約がでる。逆に書いているうちになんとなくそういう話が出てくると、非常に自然に関係性が出来てくるんです。」
「書いていて『どうもこの人は存在感がないな』とか『合わないな』と感じたときは『この人を女にしてみようか』と、前に戻って名前を置換してバランスを取ったりします。」
「行き当たりばったりで書いていって、辻褄の合わないところは前に戻って直せば良い。」
「どうしてアキラはそんなことを言ったのだろうと疑問があったら、前にその理由になるような伏線を入れておけば良いのです。」


これは想像していた小説の書き方とは随分と違いがあった。登場人物を考えその人物相関図を書き、大体のストーリを決めて、キャラクターをその通りに動かしていく、そして出来上がった後にタイトルを付けるものだと思っていたのだが、やはり書き方は人によって随分と違うものだなぁと感じた。
こう書くと簡単に聞こえるかもしれないが、これだって辻褄を合わせる才能などが無いと書けないと思うし、きっちりと最後まで作り上げるのはすごいと思う。
森博嗣も「『終』と最後に書ける人が小説家である」と言っているし、物語を終らせる大変さというものもあるのだなと感心した。